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なぜ服を作るのか


長いことブログを更新せず、申し訳ありません。いろいろと書きたい(書くべき)ことはあるのですが、今日は先日友人と一緒になって考え始めたことをまとめてみたいと思います。彼女は自分が着るものはほとんど自分で作っていて、手作り市などでも衣類を売っています(かぜのねに行商に来たことも)。彼女は某新聞社の取材を受けているのですが、なかなか真意は伝わりにくいよう。--pagebreak--自分が主張したいことが何なのかを、一生懸命言語化しようと悶えていました。
 

彼女がなぜ自分の着る物を作るのか(下着まで作っちゃうんですよ)、新聞記者の人は「衣の自給自足」というタイトルを提案したそうです。でも彼女には違和感が残りました。別に布から作っているわけではなく、古い衣類を再利用することもあれば、安い布を買ってくることもあるので、厳密にいうと自給自足ではない…。じゃあなんで、自分で作ってるの?
 

「もう、いややねん。ユニクロ・メイド・イン・バングラデシュとか大手企業の服を買うのは。」
どうも企業のうさんくさいビジネスに対する不信感が彼女をそういった行動にせきたてているよう。反骨精神というか。
 

彼女と話をしていくと、私の問題意識とも大きく重なっていることがわかって、とっても共感しました。要は、お金を持っている人や企業(いわゆる資本家)が、途上国の安い労働力を使って商品を作って、大量のお金を使って宣伝をして消費欲を人々にわかせて商品を買わせる。流行だって作ってしまう。それにまんまと乗って商品を買いあさる私たち消費者。そういった構造を彼女はとっても「理不尽」だと言っていました。
 

そもそも「消費者」って言葉がおかしいよね、って話にもなりました。お金を支払って物を購入するという意味の「消費」。消費することを前提としたネーミングが私たちに普通に使われている。反対にいうと、私たちは消費者にさせられているんじゃないかな。消費しないと生きていけないようにされてしまった。
 

社会も消費することを奨励している。そうしないと景気が悪くなるって。でも私の中ではずっと何かが引っかかっているんです。そんなに消費するのがよいことなのか。「大量生産、大量消費、大量廃棄」って、私の中ではあんまりよいイメージではないんですよね。そもそも持続可能ではなくて、環境によくない。それに消費するためには、お金を稼ぐ必要がある。お金を稼ぐには就職するのが最近では普通です。就職したら、忙しくなって家のことさえもなかなかできなくなってしまう。だからさらにお金でいろんなサービスを買うことになる。お金がないと生きていけない。不安だから貯金をしたり、保険に入ったり…お金でしか解決できなくなっているような。
 

言いたいのは、私たちが消費者にさせられたことによって、生きていく力を取り上げられてしまったような気がするんです。社会の歯車にさせられてしまうような気持ち。社会の問題に対して理不尽な気持ちを持ったとしても、「そうは言っても生きていくためには仕方ないよね」と思ってしまう、あきらめ感。
 

彼女がそこまで考えていたかはわからないけれど、理不尽だと思う社会に対して、消費者であることを脱して、衣類に関しては自分で気持ちよくってかっこいいと思うものを作るというところから始めたんじゃないかしら。これはあくまでも私の解釈だけれど。正直彼女は今とっても貧乏なんだけど、悲壮感はあまり感じられなくって、独特のユーモアでいろんな人と仲良くなって楽しそうに暮らしているようにみえます。
 

完全に都会の消費者として生まれ育った私としては、全く消費しない生活というのは当分(ずっと?)ありえないけれど、徐々に「消費させられる」生活から遠のいていきたいと思っています。今のところ、消費するモノ(お店)を選ぶことから実践中。どうせモノを買うのであれば、自分が納得できる生産者と流通者から買いたいな。ユニクロの広告を見るたびにあまりの安さに心は揺れるけれど…。
 

 庭のイタヤカエデが鮮やかに。

 こちらは冬の匂いが…。

 

 

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