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お金の集め方


今週初めからかぜのねは夏休みをいただいています。またしても2週間。皆さまにはご迷惑をおかけしますが、ご理解くださいませ。15・16日の昼間営業から再開します。
 

さて、前回はオルタンの議論で触発されて考えたことを書きました。今回も引き続きお金にまつわる話を書きたいと思います。
 

かぜのねを開店させるためには、まとまったお金が必要でした。自分たちで内装などをやったりしたものの、改築費(工事で出てくるごみの廃棄代が思いのほか高かった!)や設備や備品を整えるためのお金などがどんどん出て行きました。--pagebreak--協同経営者4人で、お金を出し合って改装費などは何とか賄いましたが、カフェをオープンさせるには足りません。
 

どうするか、迷いました。というのも私は普通の銀行に借りて利子まで支払うのが嫌だったのです。難しいことはすっ飛ばしますが、これまで南北問題や貧困問題に多少関わる中で、「銀行や金貸しが取る利子が実は問題の根源の一つなのではないか」というのが、今のところ私の結論の一つなのです。今の社会では利子というのは当たり前の存在かもしれませんが、利子分のお金をだれが負担しているのかと考えると、お金を借りて事業をする人たち、またそこで働く労働者も利子分の労働力を提供することになります。そしてその商品を買う消費者も利子を返すためのコストが含まれている値段を支払わされています。つまり、末端の人々に利子の負担というのは課せられて、その分のお金は銀行や投資家などお金がある人に吸い上げられていくわけです。貧富の差が拡大する要因で、これはいわゆる先進国・途上国間の援助の関係などとも重なります。
 

とにかく私は人々の「信頼」を商品化した利子を極力もらいたくないし、支払いたくないと思っているのです。…でもお金は必要…関西にはNPOバンクもないしなぁ…という時にコミュニティカフェの立ち上げ方が書いてある本に「市民債権」という言葉を発見しました。周りの友人・知人に出資してもらう方法です。これだ!と思い、早速かぜのねがやろうとしていることについて書き、債券を作って、周りの人々に協力をお願いしました。結果的に、20名ほどの方から約300万円の出資をしていただくことができました。これで何とかカフェをオープンするめどが立ったのです。本当にありがたい! 彼らには5年後から出資金をお返しできるよう、がんばりますと約束しました。今のところ順調に積立ができています。
 

この市民債権方式は思った以上によい方法だったと今になって思っています。ただ単に無利子でお金を貸してもらうだけでなく、お金を出してくれた人たちがかぜのねの運営に様々な方法で協力してくれたのです。もちろん、かぜのねの運営がうまくいかなかったら自分たちのお金が返ってこなくなるという危機感もあったかも知れません。同時に、かぜのねの理念に共感してなけなしのお金を出すということで、彼らもこのプロジェクトに参加してくれている、という感覚を私は持ちました。具体的には、多目的スペースを積極的に使ってくれたり、カフェに友人を連れてきてくれたり、中にはシェアオフィスを借りてくれた方もいました。食べ物やかぜのね新聞の感想を伝えてくれたりと、精神的にも本当に励まされました。こんなステキな金貸しがどこにいるでしょうか! 今でも私たちはこの出資者をはじめとする人々が応援してくれていると思うと元気が出ます。
 

出資者の一人が次のようなメッセージをくれました。

  「アメリカの国債に化けるようなお金の預け方をオトナたちがもっと考え直そうよ」
  2005年のアジア太平洋みどりの京都会議で小林一朗さんの話を聞いて以来、
  ずっと考えていました。
  …
  確かに。もっと効率のよい仕事をしている人は他にいるかもしれないよ。
  でも、私がちゃんと出逢った人は春山さんだ。
  …
  そして5年後に、そのお金をどうするのかを春山さんをはじめ
  「かぜのね」のみなさんとまた相談できるように。

これほど私たちがやろうとしていることを理解してくれる出資者がいるなんて、本当に私たちは幸せ者だと思います。
 

もしも関西にNPOバンクやコミュニティバンクがあったら、そこにお金を借りていたかも知れません。それは大手商業銀行から借りるよりはベターな選択だったでしょう。でも今思うのは、そういった中間的な機関に頼らず、私たちのことを信頼してくれる人たちに直接お金を借りることができてむしろ良かったということです。
 

もちろんみんなが皆、手間をかけて小口の出資者からお金を借りることはできないかも知れません。預ける方も、そういった場を身の周りに探すのは大変。そういう場合はNPOバンクが様々な調整をして、よりよいお金の使い方を約束してくれるのですから、そういったところを利用することは得策だと思います。ただ、やはり組織が大きくなればなるほどそこでできる人や情報のコーディネートは限られてきてしまいます。
 

直接関係性を深めていき、それによって額面以上のやり取りをすることができるのは、やっぱり人対人のやり取りなんだと思います。普通の買い物でもそうですよね。大手スーパーやチェーンの量販店は価格が安いかも知れないけれど、まじめによいものを取り扱うお店で店員とも知り合いになりながら買い物をする場合は、何か物以上のやり取りをしている感覚があります。お互い変なことはできない。…そうそう、かぜのねの市民債権の怖いところは、かぜのねが変なことをしたり、お金を返すことができなかったら、私は大事な友人たちの信頼を失う可能性があるということです。こんなに怖いことはない。
 

手間はかかっても、人と人の直接のやり取りがなんだかオルタナティブな経済の糸口になるのではないか…と、当たり前のところに戻ってきました。
 

うーん、夏休みで時間があると文章がどんどん長くなってしまいます…。昔は作文書けない子だったのに。

 

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